おててのシワとシワ
おはようからこんばんは。
猫とランプの松本大地です。
昼間は暑く、夜は寒く、もう秋ですね。
近くの学校では体育祭が行われていました。
僕が7〜8年くらい前に応援団長をしていた学校で、今度は誰が青組の団長だったのでしょう。
そして、どっちが勝ったのでしょう。
勝っても負けても、後になればどちらでも良かったりしますけどね。大事なのはそこじゃないような気がします。
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1年半前から始まった俺の大切なイベントの一つ、祖父の墓参り。
悩んでいたり調子が悪かったりすると、すかさず僕は祖父の力を未だに借りに行く。
墓石に水を浴びせ、タオルで綺麗に拭き、線香を上げる。これを全て滞り無く済ませて、手をあわせ目をつぶり祖父と話をするんだ。
怒られちゃったよ。
貧血で倒れちゃったよ。
ちょっと大きな仕事があったよ。
このまま行けば良い感じだよ。
このまま行っても良いのかな。
俺は今何をしてるんだろう。
何をしなきゃいけないんだろう。
だけど、空が青くて、車で爺ちゃんの所まで来れて、俺は幸せだよ。
家に帰って祖父の家でずっと読んでいた
浦沢直樹のパイナップルアーミー
を久々に読み直した。
護身インストラクターの主人公の、シリアスでコミカルで、異国情緒あふれる漫画だ。
栃木県の山奥にある爺ちゃんの家に、齢5〜6にして乗り込み、得意料理だったワインの牛肉煮込みを食べて、爺ちゃんはソファに寝っ転がって文庫本を読んで、僕は椅子に座って漫画を読んでいた。
詳しい場所は言えないし、今はその家にたどり着く道にでかい木が倒れているため簡単には入れない。
爺ちゃんが死んでからそこは廃墟同然となり放置されているのだが、爺ちゃんの読んでいた本が、そこまで読んでいたであろうページで裏返しにしてあったり、飲んだものがそのままになっていたり、とにかくまだ生活感があるのだ。
とにかく大きい家のため、二階部分は9畳の部屋が8つあり、家全体の電気が止まってしばらく経つのに爺ちゃんの部屋だけは時計が寸分狂わず時を刻み続けている。
そのせいで、爺ちゃんの家に訪れる度に僕は胸を締め付けられて、分からなくなる。
本当に、俺のいる世界に爺ちゃんは居ないのかな?
一緒に行ったホームセンターで自分だけ隠れて、爺ちゃんを探す俺の様子を遠くから見てた時の様に、またいたずらっぽく俺の様子を伺ってるんじゃないのかな?
本当は爺ちゃんは居ないし、爺ちゃんが居なくなったと言う事は、俺たちの時代がそこにあると言う事なのは分かっている。
分かっているんだけれどもやっぱり俺は、爺ちゃんの居ない2018年に戸惑い続けている。
今の俺の仕事っぷりを、一番見せたかったのに。
その人生の殆どを音響機器を作る事に費やした爺ちゃんに見せたかったのに。
ほんと、よくわかん無いけど、死者を末永く嘆いてしまう事は、本当に幸せな時間を過ごして居た裏返しだとも思う。
幸せという大きな括りの中で、一喜一憂を繰り返しているんだろう。
爺ちゃん、また今度ね、ありがと