全てのあなたとサヨナラの合図
おはようからこんばんは。
猫とランプの松本大地です。
我々の東日本は、僕がこの世に生まれてから知る限りでは、未だに大きな災害などに遭遇していない気がします。
いつも、ニュースに映るのは同じ日本の中の信じられないような光景ばかり。
それはまるでドキュメンタリー映画のようで、本当に起こっている事なのか分からず困惑してしまいます。圧倒的にリアルなのに。
それは僕たちが災害を実際に体験していないからでしょうか?
僕は、実際に災害が起こることよりも、自分の住む東日本には実際のところ、災害など起こらないのでは無いか。
と言う気持ちを自分が少なからず持ってしまっている事の方がよっぽど不安です。
中学校時代とても仲の良かった頭の良い、同じAB型の友人が西日本にいます。彼を心配する気持ちが僕の元に自分の所以外のところで災害がきちんと起きている実感が少し湧いてきて、このような文章を書いて見ました。
自然のナイフが僕をほんの少し刺したのでしょう。
暗い始まり方ですが、勘弁して下さいね。
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22年間生きてきて、沢山の人や物とサヨナラをした。
ちゃんとしたサヨナラ、サヨナラを言えなかったサヨナラ。
僕は一人でいるとそんなことをたくさんたくさん思い出します。
その中でも印象に残っているサヨナラをいくつかピックアップしてみました。
小学校の頃、飼っていたトイプードルとのサヨナラ。
彼女の名前はチェリーでした。
鼻がいつも濡れていて、とっても人懐っこかった。
小学校でサッカー部の練習を終えてクタクタになった僕の足元にいつも寄ってきて、
座る前に撫でろ!
顔を近づけろ!
などと猛烈にアプローチをかけてきます。。
そんな彼女と、僕は何度も繰り返し散歩をして、何度といっしょに走り回りました。
彼女は、祖母の知り合いから譲り受けた犬で、言い方は悪いが、タダで頂いた犬でした。
そして、突然その知り合いから連絡があって、やっぱりどうしても返して欲しいとの事でした。
2年一緒にいるとなると、そんなちょろっと言われただけで納得など出来るはずもなく、同じ気持ちだったはずの父親と母親に随分と酷いことを言ったりした事を今は後悔していたりして。
そして、東京のどこかの商店街で、妹二人と僕とで泣きじゃくりながら、彼女を見送りました。
おそらく、もうこの世にはいないでしょう。
その時、生後まもないトイプードルの「はな」をまた譲り受けて、そのはなちゃんが12歳だったから、もう16は超えてるはずです。
もし生きていて、もう一回会えたら僕はみっともなく泣き出しちゃうと思います。
会えなくても泣くんだけれども。
チェリーの話はおしまい。
案外話が長くなってしまうのでもう一人にしておきます。
これはサヨナラを言えなかった話です。
中学校二年生の時に、いっつも一緒に遊んだり、キャンプに連れて行ってもらってた叔父とのサヨナラ。
あの人は自らこの世を去ってしまいました。
母親と父親を残して。
叔母からのあいまいで急な連絡があって、夜中に急いで父と母がどこかに向かい、体育祭の練習で疲れていた僕はウトウトしながらも父と母の帰りを待っていました。
3時間ほど経って、あの人が自ら命を絶ってしまったと聞いたその時から今まで、僕の頭にはあの人が死んでしまった事実だけが刻まれてしまいました。
なぜだろう。そう言えば元気なかったな。
あの時はまだ。お仕事かな。
考えても分からない。
亡骸を見ても涙は出ませんでした。
悲しいと言う感情にスイッチが入っていないみたいで、というより悲しむにはなんにも分からなかった。
僕が涙を流したのは、葬儀の最後の最後、告別式であの人を見送る、今まで涙ひとつ見せなかった頑固なおじいちゃん(叔父の父親)が突然泣き崩れた時です。
あの人の名前を呼びながら、膝から落ちたあの映像は、おそらく死ぬまで忘れられないであろうショッキングなものでした。
あの人が何を思っていたかはもうどうしても分からないけれども、あの日々の事を思い出す度に、僕はカッコ悪いけれども、なんとか生きていようと思います。
そして専門学校二年生の冬に、二人同時に大好きな人が亡くなってしまうのですが、それはまた別の時にお話しします。
暗い話ばっかりだったので最後に一つだけ、やっぱり話したいことができたのでお話しします。
これは他の人のサヨナラの話ですが、高校生の最後の最後で付き合い始めた女の子とそのおばあちゃんのサヨナラ。
その女の子の家に上がって二人でのんびりしていたのですが、おばあちゃんが危ないって話を聞かされていて、不安そうだった彼女と一緒にいたのです。
そんな中、僕の目の前で彼女の弟が家にかかって来た電話を取り、その祖母の死を彼女と僕に伝えた。
彼女の部屋に戻り、わんわんと泣く彼女に何も言えず、ただただ一緒にいて、何故か泣くことしかできなかった僕はとても無力感に苛まれました。
彼女と僕は泣きつかれて、ふと起きてみたら22:00をとうにすぎており、高校生の男子が女子の実家にいるには遅すぎる時間だったので、そっと僕の膝を枕に移し替えてそそくさと出て行きました。
今思えば、何かを言う必要もなかったと思うし、そんな時に彼女のそばに居てあげられた事が何より嬉しいことですよね。
僕と言う人間がいるだけで、誰かを幸せにしてあげられていた頃の、思い出すだけで苦しい思い出。
そんな彼女ともサヨナラしてしまいましたが。
以上。
喋りすぎてしまった気がします。
皆さんもどうか元気に生きていてください。僕は呼ばれなくても行くし、呼ばれたらどうしても行きますよ。
いってらっしゃいからおやすみなさい。
猫とランプの松本大地でした。